2013-08-11

すなちゃん

2012年12月、私たちにとって初めての赤ちゃんがお腹に宿りました。
すごく嬉しくて産まれてくる日を楽しみに毎日を過ごしていました。
出産予定日は9月10日。夏が待ち遠しいなぁ。。。

ところが2013年6月、妊娠7ヶ月の頃、通院していた個人病院での健診で先生に、
「赤ちゃんが小さく羊水がちょっと多いので大きな病院で検査を受けてください」
と告げられました。
家に帰って、少しインターネットで調べるといろいろなことが書かれています。
でも「たまたまちょっと小さいだけ」という記事もあり、そうである事を祈りながら翌々日に紹介された尾道の総合病院へ行きました。

エコー検査と内診を受けると、こちらでもやはり「赤ちゃんが小さく羊水が多い」と。。。
その原因が母体なのか赤ちゃんなのか、もしくはたまたまなのか、それを調べるために10日程入院が必要とのこと。あまりに突然の入院で、コロの事も気がかりなので一度家に帰り、翌日から入院する事になりました。

毎朝昼夜の赤ちゃんの心拍モニタリング。
そしてエコーでじっくりと赤ちゃんの様子を診てもらいました。

入院9日目、平さんも一緒に検査の結果を先生から聞かせてもらいました。
すると、「原因は赤ちゃんにあると思われます。今のところエコーで分かる事は、
・食道が胃へと繋がっていない
・胃が見えない
・心臓に異常がある、
・手の形がおかしい
・小脳が小さい
・へその緒が通常は動脈が2本なのに1本しかない
これらのことから赤ちゃんは『18トリソミー』という染色体異常児ではないかと思われます」と。
18トリソミーとは普通は染色体が2本1組の対が23対あるのに、そのうちの18番目の対が3本あるという染色体の突然変異。

(以下引用)
文献により発生率は異なっており1/3000~1/10000人という報告がなされている。」
「突然変異は妊娠の5パーセントくらいの高い頻度におこりますが、(遺伝ではありません)
18トリソミーの場合、流産死の頻度が高く、また出生しても早期に死亡する。男児は女児と比較して、早期に死亡
する。わが国で報告されている症例のうち、生存日数が記載されている45例について
生存率を検討すると、生後1週間で75.6%であり、生後1ヶ月で53.3%、2ヶ月で42.2%
で諸外国における報告と同様に、生後2ヶ月までに50%が死亡し、生後1年での生存率は
13.3%である」



先生の詳しい説明を受けながら、赤ちゃんが無事に産まれて来れないかもしれない、産まれても命が短いかもしれない、、、あまりの衝撃に頭が真っ白になり、胸が苦しく涙が止まらなくなってしまいました。。。
とりあえず、1週間ごとに健診を受けながら赤ちゃんの様子を見ていく事になり、その日は退院することになりました。

家に帰ってからも悲しくて辛くて涙が止まりません。。。
平さんは私が一人になるといけないと心配し、いつも行動を共にしてくれました。
その3日後には私の両親が心配して大阪から島まで来てくれ、両親と私たちとで赤ちゃんの話をする事ですごく気持ちが楽になりました。

その頃からだんだんと自分たちの心の持ち方が変わって行きました。
「未来に何が起こるのか、それはその時にならないと分からない。現に、今お腹の中では赤ちゃんが一生懸命生きているんだし、私たちが悲しんでたら赤ちゃんにもそれが伝わってしまうよな。。。
お腹の中に居る間は赤ちゃんは私の体から直接酸素も栄養も取れていて、とても楽な状態にあるんよな。それなら、今の一瞬を大切に、楽しく幸せな時間を過ごすことが大切なんじゃないかな」と。

それから今までよりももっと赤ちゃんとの距離が近づき、私、平さん、コロ、赤ちゃんの『4人家族』という気持ちがぐっと強くなりました。
一緒に海へ行って足を浸けたり、釣りをしたり、花火大会を見に行ったり。。。
平さんの手料理も私から赤ちゃんへと送られて美味しく食べてくれてるかな。。。とか。


それから毎週病院通い。
コロにはちょっとかわいそうだったけど、だんだんと慣れて見送ってくれる様になりました。

赤ちゃんは標準体重からどんどん離されながらも自分のペースで少しずつ成長しています。
食道が詰まっているせいで羊水を飲むことができず、羊水が子宮の中で増えていきました。
8ヶ月の頃には羊水で膨らんで10ヶ月くらいのお腹だと言われる程に。。。
赤ちゃんはたっぷりの羊水プールのなかでフワフワと泳ぎながらも元気にお腹を蹴ってきます。
平さんがお腹に手をあてて呼びかけると蹴ってくる事もありました。

あまり羊水が増え過ぎると注射器で抜くという処置も考えられていたのですが、苦しくなるまでにはならず、ある程度でストップしてくれていました。

それから小児科の心臓専門の先生にも専用のエコーで心臓を見てもらいました。
すると右心室と左心室との壁に大きな穴があいている事がわかりました。
手術は、赤ちゃんが外に出てからでもある程度(2〜3kg)まで大きくなれば可能だということもわかりました。
ただ、そこまで大きくなれるかが(栄養補給が点滴のみになるので)問題なのですが。。。
あとは赤ちゃんの生命力にかかっています、と。

出産方法も相談していました。
とりあえずは自然分娩を目指して、もし途中で問題が起こった場合は帝王切開に切り替える、という計画です。

7月。妊娠9ヶ月(33週)の健診。
赤ちゃんは前回よりも76g増え推定1076g。とても元気です。
出産までになんとか1200gになれば。。。という所です。
この時、このタイプの出産は35〜36週になる傾向があると言う事も聞きました。

いよいよ近づいて来たな。。。。


そして次の健診の前日。
8月1日。
朝4:00。
ハッと目が覚めたとたん、いっ、胃が痛いっ。。。
息が苦しいくらいの痛さ、でもおへそより上だし陣痛じゃないよな。。。
いつもの胃痛なら温めればなんとか治まるはず。。。
痛さで眠る事が出来ず、シャワーの熱い湯で体を温めたり、ソファで布団をお腹に巻いて痛みが治まってくれるのを2時間程待ちました。
だめだ、とりあえず平さんに、、、
「胃が痛い」と伝えて、ちょっとそばでお腹をさすってもらいました。
それでも全く痛みが無くならない。
妊娠してから、島から病院は離れているし、妊娠高血圧症候群には気をつけなければと自宅でも測れるよう血圧計を購入していたので血圧を測ってみると173/106。
今までにない高血圧。。。
6時半、急いで病院に電話して、車で走りました。

7:30。
到着すると先生が待ち構えていて、さっそく内診とエコー検査。
上腹部がすごく痛く、高血圧の数値が出ましたと伝える。
「いますぐ入院です」
入院部屋が空いてないのでとりあえずたまたま空いていた分娩室で待機する事に。。。
いろいろな装置に囲まれながらすぐに点滴と血液検査。

8:30。
平さんに私の両親にとりあえず入院を知らせてもらうと、両親は心配してすぐにこちらへ向かってくれていました。でも、この時点ではだんだんと痛みが治まって来ていたので、とりあえず大丈夫なのかな、と思っていました。
それから2時間程してもう再度血液検査。

その結果が出たのがたぶん昼前だったかな。。。
先生が息を切らして部屋に入って来て、
HELLP症候群という症状で、血液検査の結果、肝臓の異常がみられ、血小板が減って来ています。それが進むと出血が止まらなくなり、脳内出血をおこしてしまったり、手術中に血液不足になってしまったり、最悪の場合は母体の命が危なくなります。それを回避するにはすぐに妊娠を中断しなければなりません。今すぐ用意して昼過ぎには緊急帝王切開手術を行います」と。。。

え、、、赤ちゃんが出てくる。。。大丈夫なんやろか。。。
あまりに急すぎて、その事ばかりが頭をぐるぐる回ります。。。

本当は予約していた翌日の健診で小児科の先生と出産時の赤ちゃんへの処置について話をするはずだったので、急いで先生がやって来てベッドの上で話をし、それからも麻酔科の先生、レントゲンの先生、看護士さんが着替えをしてくれたり、手術の準備をしてくれて、あれよあれよという間に気がつけば手術台の上という感じでした。

手術が始まり、20〜30分程経過した時に、お腹の上で揺する様な動きをして、それから一瞬声がした様な。。。
すると数分後、「あかちゃん、産まれましたよ」と先生の手の中には小さな赤ちゃんが居ました。
生きてる!生きてる!
泣きながら赤ちゃんの頭をそっと撫でました。
実は取り出して一瞬赤ちゃんの呼吸が危うくなったみたいですが処置して取り戻していたそうです。
すぐに赤ちゃんは手術室からNICUの方へ連れて行かれました。

私のお腹をまだ縫い合わせている頃、外で待機していた平さんの目の前に赤ちゃんの入ったケースと先生達数人が走って来たそうです。
「産まれましたよー!!」
生きて出てきた赤ちゃんとの対面に平さんは感激で泣き崩れていたようです。
そしてそのまま赤ちゃんはNICUへ。。。
1時間の予定の手術が10分程延びていたので、私の身になにか起こっているのではないかと平さんは大変な心配をしていたようですが、出血もさほどなく輸血もせずに手術を無事終える事ができました。

下半身麻酔とはいえ、ほわ〜んとした意識のまま手術室からベッドのままガラガラガラ。。。
途中でほっとした表情の平さんと再会。
そのまま一緒に病室へいきました。

しばらくすると私の両親も病院に到着しました。
向かっている途中の平さんとの電話の電波が悪く途切れ途切れだったので、こちらはこちらで悪い想像をして気が気でなかったそうな。。。
でも私も赤ちゃんも無事ということでほっと一安心したようです。

私は術後すぐなので全く動けず、というかHELLP症候群だということで血圧もまだまだ高く動ける状態ではなかったので、夕方に平さんと両親とでNICUで待つ赤ちゃんに会いに行ってきました。
3人とも涙目で戻ってきて、私は写真で我が子と再会。
はぁ〜かわいい。
呼吸器を付けて、点滴もいっぱい付けて。。。一生懸命生きてる。。。
早く会いたいなぁ。。。

両親は赤ちゃんとの感動の対面のあと、近くのホテルへ戻りました。

8月2日。
朝から両親がまた会いに来てくれたのですが、NICUの面会時間がまだだったのでこの日は赤ちゃんには会わずそのまま大阪へ戻りました。
痛み止めを飲みながら何とか起き上がる練習、そして歩く練習。
昼過ぎについに赤ちゃんの所へ車いすで向かうことができました。

赤ちゃんとの再会はそれはそれは嬉しかったです。
自分の子供と触れられるなんて、いままで生きて来た中で一番幸せな気持ちになりました。
それを横で見ていた平さんは親子の再会に感動し過ぎでこの写真を撮りながらも涙でボロボロでした。


私の手と比べても分かる様に、とても小さな体です。
推定1076gだったのですが、実際は770gでした。

赤ちゃんの名前は「すな」、女の子です。

私の体もまだまだ安心できない状態だったので、昼の面会は20分ほどで切り上げて病室に戻りました。

夕方には平さんの両親が和歌山から駆けつけてくれました。
少し話をしたあと、面会時間ではなかったので今日は一旦ホテルに戻って、翌日にすなちゃんに会いに行こうという事になりました。

夜、7:00。
ふたたびすなちゃんの元へ。

つぶらな瞳で一生懸命何かを見ようとしているすなちゃん。
平さんと私の方を交互に見ている様でもありました。


NICUの先生の話によると、これまでにも一瞬容態が悪くなった時があったようなのですが持ちこたえたそうです。
しかしこのころから、だんだんとまたすなちゃんの容態が悪くなって来ていました。。。
先生達が集まって来て代わる代わる処置をしてくれています。
そして先生に呼ばれ、、、すなちゃんの状況を説明され、今夜が山だと聞かされました。。。
急いでホテルに戻った平さんの両親を呼び戻しました。

すなちゃんの容態はみるみる悪くなり、常に先生や看護士さん達が処置を行うという状況になりました。
血小板が減ってきているせいで出血が止まりません。
血液が肺へと回り、それが口や鼻から出てきてしまいます。

私も平さんも何も出来ないのがとても辛く、見ている事しかできません。

先生は、すなちゃんが少し安定したらさっと場所を空けてくれて、私たちに触れさせてくれました。
しばらくそれを繰り返しましたが、もう手の施し用が無くなってきました。
そう先生に告げられて、私たちとしてはすなちゃんが苦しんだり痛い思いをしながら最期を迎える事は避けて欲しいとお願いをしました。
すると、「ある程度の装置を外して息が苦しくない様に呼吸の補助を行い、最後はお母さんの胸で抱いてあげてください」とおっしゃってくれました。

私の血圧が上がっていたので、移動式のベッドをNICUの部屋に運んできてくれて、そこで横になりながら初めてすなちゃんを胸の上に抱くことができました。


トクトクトクトク....すなちゃんの早くて小さな呼吸と温かい体温が伝わってきました。

先生方は代わる代わる手動式の呼吸ポンプですなちゃんの呼吸の補助をしてくれています。
 平さんの両親も通常は立ち入り禁止なのですがそばまで入らせてもらえました。
すなちゃん担当の看護士さんも夕方で交代だったので帰宅していたのですが、急いで戻って来てくれました。

1時間程こうしてすなちゃんを胸に抱きながら平さんと一緒にいろいろなことを話しかけました。

9ヶ月もお腹の中で一緒に過ごしたすなちゃん。
予定より早くに外に出されたのに、生きて顔をみせてくれたすなちゃん。
私が動ける様になるまで一生懸命生きて待っていてくれたすなちゃん。
すっごくすっごくがんばってくれました。。。

「よくがんばったね、ありがとう。もう疲れたやろ、ゆっくり眠っていいんよ」
平さんと私ですなちゃんにそう話しかけると、だんだんと呼吸が弱くなって目がとろんとして、ゆっくりと眠っていきました。


8月2日 pm10:16 永眠。


気がつけばその場に居たNICUのスタッフが集まって、涙を流しながら見守ってくれていました。
本当によくがんばったねとみんなですなちゃんのがんばりを讃えてくれました。



その後、腕や足に付けてあった点滴などの装置を全て外して、初めての沐浴をしました。


湯上がりすなちゃん。


肌着と靴下と帽子も着せてもらって、病室で念願の添い寝です。

私の入院はまだ必要だったので平さんが付き添いで泊まって、それからの3日間、朝から晩まで親子3人一緒です。
私も平さんも突然のお別れに悲しさと寂しさで泣き続けていたのですが、すなちゃんの寝顔を見ているとだんだんと幸せな気持ちも大きくなってきました。
おなかいっぱい飲めなかったお乳も、今になって出てきたので少しだけ口に入れてあげました。


少し笑っているような寝顔です。
先生方の優しい処置のおかげなんだろうなと本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
看護士さん達も空いた時間にすなちゃんの寝顔を見に来てくれました。

本当にかわいくてかわいくて、動きもしないのに平さんと二人ずーーーっとすなちゃんの顔を眺めていました。
そして「やっぱ、かわいいよな〜」ってこちらまで笑顔になるんです。

途中で平さんが一度家に戻って、私がすなちゃんの為に作っていた肌着を持って来てくれました。
実は、手術の前日にたまたま仕事の手が空いていたので1枚だけとりあえずと思って作っていたのです。
予想体重が小さいという事でかなり小さめにアレンジして作ったつもりが、それでもちょっと大きかった。。。
病室で飾りの刺繍を入れました。
鳥が3匹、私と平さんとすなちゃん、そして茶色いのがコロです。
裾に名前も入れました。


着替えをして記念撮影。





8月5日。
入院中だったけど無理をしない約束で一時外出許可をいただき、すなちゃんと一緒に自宅へ帰りました。
病院から出るとき、NICUの先生がお忙しい中、すなちゃんを見送りにも来てくれました。

車で走りながら
「ここがすなちゃんの家に向かう橋やよー」
「この島がすなちゃんの島やよー」 
と教えてあげました。。。

家に戻る前にすなちゃんの名前の由来である「砂浜」を見せてあげました。
この日はいつもよりも海の透明度が高くてすごくきれいでした。


そして自宅へ戻り、入院中に友人宅で預かってもらっていたコロを呼び戻し、
念願のコロとすなちゃんのご対面。


コロは優しい目ですなちゃんを見ながら一生懸命匂いを確認していました。

それから仕事場や家の中、そして家から見える山や庭の畑を見せ、ここで穫れた野菜を食べてた事などいっぱい話しました。

昼過ぎ、平さんの家族が再び家まで来てくれて、それから島にある火葬場へ。。。

色とりどりのお花でいっぱいのベッドに寝かせて、名前の由来の砂と、春に庭に植えたすなちゃん記念樹に成っていたミカンの実を入れ、またここに戻ってくる時の道しるべになる様にと私と平さんとコロの髪の毛を手に持たせました。

9ヶ月と1日と3日間、ほとんどお腹の中だったけどすなちゃんと過ごした幸せな日々の思い出です。
私も平さんも、かわいくて強くて優しいすなちゃんが大好きです。
いまはまだ寂しさがふとこみ上げて来て泣きそうになったりしてしまいます。
でも、すなちゃんは遠い世界へいったのではなく何となくまたひょっこり会えるような気がするんです。
だからそれを楽しみに過ごしていこうと思います。


私の回復も順調で、血圧はまだ高いけれど自宅療養ということで8月7日には退院することができました。

翌々日には、島に住む友人にケーキを作ってもらって、急遽すなちゃんの誕生日会を開きました。
人が聞けば悲しい出来事の様に思われるかもしれませんが、私たちにとってはすごく嬉しい出来事だったし、命の大きさや愛情の深さをたくさん感じることができた、とても貴重な日なのです。


8月1日生まれの「8 1」です。


すなちゃんには大きいくらいのプチオムライスとプチケーキ。。。


急な呼びかけだったにもかかわらずたくさん来ていただき、とても楽しい時間を過ごす事ができました。
みなさん本当にありがとうございました。



妊娠出産において「母子ともに無事でした」ということをよく耳にするのですが、そうではなかった事はあまり聞く事がありませんでした。
今までの私も、まさか自分は。。。と思っていました。
18トリソミー、HELLP症候群、どちらも命に関わることで、確率で言うと数千分の1という非常に稀な症状です。
それがどちらも起こってしまったりするのが現実なのです。
HELLP症候群は、周産期に発症すると適切な処置が行わなければ30〜40%の死亡率だそうです。
家に帰ってから調べて知った事実にぞっとしました。。。

朝早くに目覚めて痛みに気づけた事(すなちゃんが起こしてくれたのかなって思うんです...)、妊娠高血圧症に用心して家でも自分で血圧を測るようにしていたことが早期発見につながり、早く処置できたのだと思います。
妊娠出産ということがどれほど大変なことなのか、命の掛かった大仕事なのかという事を改めて思い知らされました。

私と赤ちゃんとコロの心配をし、私のそばにずっと寄り添い、自分も苦しい時なのに動けない私の分まで走り回ってくれた平さんにはすごく感謝しています。

そして先生方、スタッフのみなさんにも感謝の気持ちでいっぱいです。
みなさんのおかげで私と娘の命を助けてもらい、また安らかな最期を迎える事もできました。


私たちはもう大丈夫です。
決しておめでたい話をしては悪いかな、とか思わないでくださいね。
このことがあってよりいっそう全ての赤ちゃんや子供のことが愛おしく思えるんです。
せっかく産まれて来た命、たいせつに守ってあげてください。

ただ、あまりにあっという間に起きた出来事にまだ頭がついて来てないようで、すべて夢だったような気がしてしまいます。
でもお腹には傷がある...、そしてそこからすなちゃんは出てきたんよな、って。

生きててよかった。
すなちゃんに出会えてよかった。


すなちゃん、産まれてきてくれてありがとうね。 




平からも一言

F家のブログでは初めましての平です。

今回こう言った内容の事をfacebookやブログにアップするというのはいいのかどうか?
傷ついたり怖がったりする人もいるのではないか?という事を二人で何度も話しました。

でも書く事に踏み切ったのは大きく二つの理由からです、一つは親のエゴでもあると思いますが「すな」の事をみんなに知ってもらいたかったからでした。

すなは結局病院を一歩も出る事なくその短かすぎる一生を終えてしまいました、私達夫婦やそれぞれの両親、病院のスタッフ以外の人にとっては知り得ない命です。
でもとてもとても大きな障害を持ちながら小さい体で懸命に生き続けようとし、また産まれてからも母親の回復を待つ様に長い一日と半日を体中を点滴の針に刺された状態で生きていてくれた娘のがんばりを知ってもらいたいと思いました。

二つ目は妊婦の体調には本当に気をつけてほしいと思ったからです、妻は普段は風邪一つ引かない健康そのものと言った風情の人です、子供を望んでからは酒もコーヒーも一滴も飲まず、適度な運動をし食べ物にも気を使って、僕の目から見たら模範的な妊婦生活を送ってきました。
それでも今回その命を奪われる様な事態に見舞われました。
妻の命を救ったのは習慣にしていた血圧測定でした、胃の痛みだけだったらなんとか我慢してしまって重要なサインを見逃していたかもしれません。
妊婦さん、特に妊娠後期の方が居ましたらどうか必ず血圧計を買ってください。3~4千円も出せばあります、安心料としては安いものだと思います、お願いします。

あとどうかこのブログ記事を読んで必要以上に妊娠や出産を恐れないでください、18トリソミーもhellp症候群も数千人に一人という珍しい症状です、もちろんそれ以外にも障害や怖い症状はありますが多くの女の人が出産を経て幸せなおかあさんになれるはずです。無事出産できる人の確率が一番高いのですから。

島に住んでいるので飼っている犬と一緒によく砂浜に散歩に行きます、砂地はよく見ると小さな生き物達でいっぱいです、かにや小魚、名も知らない虫や鳥達。
人間もきれいな砂浜が大好きで、夏になったら海水浴客で浜辺は大賑わいです。

娘にはそういう風に身の回りに生き物や楽しい人々に囲まれた賑やかな人生を送ってほしいと願って「すな」と名付けました。
産まれてからのすなには常に病院のスタッフに優しく見守られ、臨終に際しては私たち夫婦と彼女にとっての祖父祖母、あと本当に沢山のNICUのスタッフに看取られながら旅だって行きました。
「賑やかな人生を」と願った私達の願いは叶ったのだと思います。

棺に入れる花を頼んだ花屋さんには気を落とさずにと、おにぎりをもらいました。
小さい乳児の火葬ではその遺骨が燃え尽きてしまう事が多く、何も残らないかもしれないと言いながら、付きっきりでしっかりと小さな骨を私達に残してくれた葬儀社のおにいさん。
すなの誕生会に集まってくれた島の友人達、電話で慰めてくれた友人達。
「すな」にと花を届けてくれた近所の方。
そして妻と娘の命を救ってくれた産科の先生達とスタッフの皆様、小児科、NICUの皆様

すなの誕生と死に寄り添ってくれた全ての人達に感謝いたします、ありがとうございました。